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原 石 編

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2003年12月号【マキリ】
2003-12-01
【マキリ】
動物の牙が付いた小刀であるが、今回の話しは牙の部分ではない。今回は、繊細な彫刻が施されている小刀の方である。これはアイヌ人の携帯していたもので、『マキリ』と呼ばれる。
アイヌ民族は、工芸とりわけ木製彫刻の名人として知られ、その工芸の代表的なものに種々の木彫り芸術がある。中でも誰でもが知っていて、遠足や観光旅行などの際に一つは買った事がある“熊の木彫り”は特に有名なものである。
しかしそれは、一方的に日本人に組み込まれ、さらに近年になり北海道に幽閉されたアイヌ人が自身の生活の為にその特技を生かして、観光で来る本土人へのお土産品として作ったものである。また観光のショーとして行われる一つのアトラクションとして“熊祭り”がある。アイヌの人々の宗教儀礼としての最大のものがその熊祭り、つまり“イオマンテ”である。しかし一般には熊祭りと呼ばれてはいるが、正しくは『熊送り』である。これは本来、ショーとして行うべき様なものではなく、人間界に遊びに来られた熊の神を神の国にお返し申し上げる神聖なる儀礼である。
その精神は、流行歌手“故 林伊佐男”の歌う『イオマンテの夜』で想像することができる。
アイヌの男は、その儀礼式の為に使う道具を、そして生活の器具を、写真の“マキリ”と呼ばれる小刀一挺で彫り上げた。民芸としてのアイヌ彫刻は多くの彫刻刀を使って彫るが、古くはこのマキリ一挺で彫ったのである。
マキリとは20~30cmの木彫りの鞘を付けた小刀で、アイヌ人が日常携行した唯一の利器である。彼らはそれを包丁として使い、時に鏨、鉋、そして鉈にも使い、当然のこと身を守る武器にもした。したがってそれは大切な道具である為、身に下げる為のその鞘は趣向をこらした彫刻で加飾した。写真のマキリの刀身は釘や鉄片などを使い、アイヌの野鍛冶が鍛えたものである。後期には日本人(をシャモ又は和人と呼んだ)からもたらされた刀身を使ったものもある。
これは『マキリ拵え』と呼ばれる。マキリ拵えは鞘と柄の形に特徴があり、大きく3つの形態がある。一つは『北海道型』二つ目は『樺太型』、そして三つ目が『大陸型』である。
写真のものは“北海道型”で、刀身は日本刀の外形に似ているが刃縁と切っ先は片刃造りである。鞘は一木造りで、鯉口から鞘尻にかけて刳り貫いてあり、同じく一木造りの柄に刀身を差し込んである。熊の犬歯を根付けとしてぶら下げており、それを繋ぐ縒り紐の糸は“オヒョウ”の木からとった繊維で編んである。
この拵えは、幕末から明治初期頃(アイヌ文化後期)に造られたと見られる。これと同型のものを、東京国立博物館とベルリン国際民族博物館の蔵品に見ることができる。
 
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