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カット石編

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2003年12月号【ラピスラジュリ】
2003-12-01
『ラピスラジュリ(Lapis-lazuli)』
今年も早いものだ。もうクリスマス、そしてまた新たな年がやってくる。クリスマス、特にイブは大人も子供もおおはしゃぎで楽しむ、一夜のお祭りである。この日本古来の習慣ではない夜は、筆者が子供の頃は日常感じ取ることのできない何か不思議な文化という気がしたのを思い出す。12月になるとその夜だけ心待ちにしていたような、どことなく懐かしい記憶がある。
今回はいったいどのような気まぐれか、クリスマスらしい宝石を取り上げてみた。標本室の中で何となく収集した標本を眺めていたら、この宝石を見てふっとクリスマスの事を思い出した。子供の頃、クリスマスカードをもらうのが楽しみで仕方がなかった。そこには日本は見たこともない風景が描かれていて、田園に、森に、そして牧場の小さな家に雪が降り重なって真っ白な世界が広がっている。絵の中に、動物たちの息吹も聞こえてこないほどに静かな白い世界が音もなく広がっていく。不思議なものだ、この『ラピスラジュリ』を見ていてなぜかそのように感じた。
夜中に雪が降り始めると、それまで暗黒だった空は急に青黒い色に明るくなる。高い高い空の奥から金色の雪が降りてきて、辺りは次第にやがては真っ白く染まる。宝石の世界で雪の舞う夜空に例えられるものといえば、『スノーフレーク・オブシディアン』を連想する。むしろ“ラピスラジュリ”はその産出地や好まれた地域から、アラビアの砂漠の夜空にきらめく星に例えられてきた。しかしこのラピスに限ってはなぜか冬空に舞う雪である。
ところでこのむせかえるような深い神秘的なブルーの宝石は、最古代の歴史の中では常に独創的に捉えられそして使われてきた。ラピスラジュリを使った考古学的遺物として知られる最古の物は、紀元前5世紀にまで遡る。バビロニア(後のメソポタミア)南部で小さなビーズが発見され、シュメール人のウルの王墓の墓室の床は、ラピスラジュリのモザイクで飾られていた。
さらには、エジプト文明では紀元前3100年頃にもっとも多く使われた。ラムセス二世(紀元前1979年頃)の墓からこの宝石を使った指環が発見されている。誰にでもよく知られたツタンカーメン王(紀元前1361年-紀元前1352年)の墓からは、黄金の柩やマスクが見つかっている。ツタンカーメン王の黄金のマスクには、トルコ石や紅玉髄(カーネリアン)、そしてラピスラジュリと同じ色のガラス(ファイヤンス)と共に、貴重なラピスラジュリが使われている。
ところでこの宝石、古くは『サファイア』と呼ばれていたという事実がある。“Sappir(サッピール)”という綴りからもそれが解る。それは“青い(宝)石”という意味であるが、ラピスラジュリが神聖視されていた古代には、今でいうサファイアは知られていなかった。後の時代になって、代わりに何の関係もない“コランダム種”の宝石が『サファイア Sapphire』として呼ばれるようになる。そしてこの宝石が、今日の様に誰でもが知っている“ラピスラジュリ”という名前で呼ばれるようになった。それは意外にも中世になってからのことである。ラテン語の『青色(Lazur)』と『石(Lapis)』の組み合わせがその語源となったのである。
そのラピスラジュリは、すべてが今のアフガニスタンのバダクシャンにあるサレサン鉱床から採掘されたものである。この上質のラピスラジュリはヨーロッパではさらに高い品位の原石が厳選されて、高級な絵の具の材料としても使われた。それは特別に『ウルトラマリン・ブルー』と呼ばれたが、その絵の具は日本へもシルクロードを伝わり『群青(ぐんじょう)』と呼ばれた。それは青色の“岩絵の具”の中でも最高のものである。
 
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